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松尾芭蕉の生い立ちと蕉門十哲

e3857140.jpg松尾芭蕉は1644年に伊賀上野で生まれています。

すでに戦乱の世は終わり、三代将軍家光の時代になっています。

実家は農業ですが、松尾と云う苗字を持っておりそれなりに裕福だったんでしょうね。

数え22歳にして早くも仕官を退き俳諧の道に入っています。

34歳のときには江戸で宗匠と呼ばれる存在になっており、深川の庵に門人から芭蕉を贈られ芭蕉庵と称するようになりました。

1682年の八百屋お七の大火で焼け出され、しばし旅に出て、「野ざらし紀行」・「鹿島紀行」・「笈の小文」・「更科紀行」などを書いています。

その後、89年に曽良を伴っての旅に出ます。

このときの行動が異常だということで、芭蕉の忍者説とか、仙台藩を探りに行ったとかの説があります。

芭蕉の墓は本人の希望で大津膳所の義仲寺の木曾義仲の隣に葬られています。

蕉門十哲と言われるのは次の人たちです。

宝井其角
服部嵐雪
森川許六
向井去来
各務支考
内藤丈草
杉山杉風・・・河合曾良
立花北枝・・・広瀬惟然
志太野坡・・・服部土芳
越智越人・・・天野桃隣

なお、十哲には諸説あり(芭蕉が決めたわけでなく、後の人が勝手に決めたものだから)・・・の右側の人とする説もあります。

画像は与謝蕪村による芭蕉像