俳句と言う名前を付けたのは明治の正岡子規です。
それ以前は俳句と言う言葉は出てきません。
季語、季題と言う言葉も明治以降の用語で芭蕉は「季」と呼んでいます。
季語と言いだしたのは水原秋桜子、季題と呼ぶのは高濱虚子のホトトギス派の言葉です。
また芭蕉の門人である土芳は「見るにつけ、聞くにつけ、作者の感じるままを句に作るところは、すなわち俳諧の誠である」と言っており、これは虚子のいう客観写生につながります。
明治以降の俳句の流れとしては、正岡子規が俳句と名前をつけ大綱をまとめ上げ、それを高濱虚子がホトトギスを通じて大いに発展させたところ、河東碧梧桐や水原水原秋桜子と言った分派が出てきた
と言ったところでしょうか。
なお子規とはホトトギスの漢語での表現です。
血を吐くまで啼くと言われるこの鳥を結核を患っている自分に喩えたのでしょう。
その他に、不如帰とか時鳥とも書きます。
現代でもホトトギスは最大の俳句結社として多くの門人を抱えています。

